今井町の今西家住宅は橿原市今井町の西に位置します。今井の西を守るから今西という名をもらったそうです。
重要伝統的建造物群保存地区に指定されている今井町の中でも今西家は特別で、惣(そう)年寄り筆頭を務めた家柄で、町の自治権を担った名家です。
今西家は、古代豪族弟磯城(おとしき)の末裔ということで、皇室の方も訪れたことがあるんです。
古代豪族弟磯城といわれても、何?って感じですが、なんでも、
神武天皇が大和東征を行ったときにこの地を統治していたのが磯城彦(シキヒコ)でした。神武天皇は降伏を促しますが、兄磯城(エシキ)は立ち向かい、逆に弟磯城(オトシキ)は降伏することを提案します。結局、兄磯城は神武天皇に滅ぼされましたが、弟磯城は服従したため、その家系が残った。それが現在の今西家につながっているのです。弟磯城から数えれば、100代以上になります。
と、日本書紀や古事記の世界につながるんです。奈良はすごいです^^;
皇太子時代の天皇陛下や、秋篠宮殿下が訪問された時のお写真もおかれています。
国の重要文化財の1つで、今井町が重要伝統的建造物群保存地区として選定されたのも、
そもそも、重要伝統的建造物群保存地区ができたのも今西家住宅さんがきっかけだとか。
今井町散策の時は、是非、今西家住宅さんを見学させてもらいましょう。家族の皆様が普通に生活されているお宅なので、事前の予約が必須ですので、前もって予約が必要です。
私たちが見学した時は、こちらの奥様が説明してくれましたが、この説明が流暢で素晴らしかったです。もちろん内容もすごいです!!
今井町の今西家住宅って?
今井町は、奈良市内から車でも、電車(JR・近鉄)でも50分ほど、京都や大阪からもとてもアクセスはいいです。
江戸時代に建てられた町屋が数多く残る橿原市今井町は、戦国時代に称念寺を中心に栄えた“寺内町”が元になった地区です。
東西約600m、南北約310m、面積にして17.4haの地区内には、全建物数約1500棟弱のうち、約500棟の伝統的建造物があり、全国で最も多い地区だそうす。
徳川の時代には、今井にはそうとうな権力が有り、「大和の金は今井に七分」と言われるほど繁栄を極めていました。
独自の通貨まであったそうです。
歴史的にも、聖徳太子が通った時に、馬に水を与えた井戸、とかもあったりするんです。
そんな今井町を守ってきたのが今西家さんなんです。
今井町は、戦国時代、街並みは濠で囲まれ、敵の侵入を防いでいました。その、環濠の端、西口門跡近くにあるのが今西家住宅さんです。
今井町の今西家住宅は慶安3年(1650年)の建立で、日本で3番目に古いと言われるお宅だそうです。
中に入ると、天井がものすごく高い・・・。
天井には立派な梁が3本渡され、この大きな建物を支えています。
1本の梁だけヒビが入っているのですが、その梁が一番新しくて、近年の修復で渡し直した梁だそうです。
こういう建物に使われている木材は、古ければ古いほど、質が良いのですね。
織田信長からの刀
今井町は戦国時代、一向宗と結んで織田信長と戦った際、最後まで今井の町を守り抜いた功績が認められ、信長より自治権が与えられました。織田信長ら西側から攻めてくる敵と戦って今井町を守りぬいたという功績で、信長は褒美として様々な物品を下賜したそうです。その一つがこちらの刀。展示はさやだけだそうで、中身は大事に保管されているそうです。
大坂夏の陣の折にも今井町を無傷で守り、松平忠明から「今井の西を守った家」として「今西を名乗りなさい」という栄誉を受けて改名して今に至るとのこと。
今西さんは、元々は河合さんというお名前だったそうです。
今西家住宅の2つの家紋
立派な建物の左右に、それぞれの家紋が掲げられています
右側に川の字の井桁枠で囲み河合氏の定紋を入れ、左側には菱形3段に重ねた武家を象徴する旗印を付けています。
戦国時代の構造様式を残す建造物で慶安3年(1650年)に7代目当主今西正盛によって裁判を行うために改築された屋敷
建物がこのように出っ張っているおかげで、街の中を敵が周囲から見通せないように、矢などを放たれても大丈夫なようになっています。
八つ棟造りの入母屋の屋根を複雑に入り組ませ、軒下まで白漆喰で塗り籠めた白漆喰壁を持ち、妻面には出格子を付ける豪壮な建物です。
お白洲(しらす)
裁判所の役割を担っていたことから、内部に入ると、裁きをしていたお白洲があり土間の部分が非常に広いです。
お白洲(しらす)は法廷・奉行所で罪人を取り調べた所に白い砂が敷いてあったところからおしらすといわれます。
2階にはいぶし牢もあります。 この梯子のかかったお部屋は、悪いことをした人を閉じ込めて、下から煙で燻して責めた「燻し牢」だそうです。
今西家の功績
今西家がすごいのは、今井町をず~~と守ってきたことです。
「十市県主(といちあがたぬし)」を名乗り、今井町の自治を担ってこられました。
織田信長との戦いもすごいですが、明治時代にも活躍されています。
明治時代になると、自治権こそなくなりましたが、市中取締役をしてほしいということで、今西家は引き続き、行政に携わりました。
今井町に天皇も乗られる列車の鉄道の駅(今の畝傍(うねび)駅)を置きたいと明治政府が言ってきた時、江戸時代から続く、環濠(かんごう)のある町並みがめちゃくちゃになると、今井町に作ることに反対したそうです。今井町の近代化が遅れたと当時の町の人からは非難轟轟(ごうごう)だったそうですが、今となっては感謝されているそうです。
今のご当主も今井町を守る気持ちは強いようです。
観光客が増えてもありきたりの町になってしまいます。それだと、これまで今井町を守ってきた先人に顔向けできませんからね。私一人の考えでどうこうしたらいけないと考えています。時代を越えて、今西家は自らを盾にして護るべきもののために死に物狂いで戦ってきました。今井町の歴史はまだまだ続くのですから
今西家住宅の見学には予約が必要です
今井町の西端に位置する今西家は、今井町を取り仕切っていた惣年寄筆頭の名家です。
主家は慶安3年(1650年)に建てられたもので、その複雑な形状の屋根は、いくつもの棟が重なって見える事から「八つ棟造り」と称されています。塗り篭められた白壁も相まって、まるで城郭建築のような、堂々たる風格を醸しています。
今西家は、事前予約制で内部を拝観する事ができます。土間の部分は吹き抜けとなっており、天井も高々。太い梁や束が交差する小屋組みに目を見張ります。
惣年寄の筆頭であった今西家は、町の行政権と共に司法権を持っていました。今西家の内部は広々とした土間が特徴的ですが、それは裁判の為のお白州でもあったのです。
今西家住宅の基本情報
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住所 | 橿原市今井町3-9-25 |
電話番号 | 財団法人今西家保存会 0744-25-3388 |
見学時間 | 午前10時~正午、午後1時~午後5時(最終入館 午後4時30分)、事前予約必要 |
定休日 | 毎週月曜日(祝日の場合次の平日)、盆時、年末年始、その他不定期 |
見学料 | 大人500円・中学生以下250円・団体(10名以上) |
駐車場 | なし、今井町 西環濠広場 駐車場が近くです。今井まちなみ広場駐車場からは8分程度です |
最寄り駅 | 近鉄:八木西口駅から花甍まで7分、JRまほろば線:畝傍駅から10分 |
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アクセス・駐車場
奈良の今井町は、橿原市にあります。
橿原市は奈良市に次ぐ県下第二の都市で、初代天皇の神武天皇が祭られている、橿原神宮や神武天皇陵は有名です。
今西家住宅と合わせていきたいおすすめグルメ
今西家住宅のまとめ
今井町の西端に位置する今西家は、今井町を取り仕切っていた惣年寄筆頭の名家です。
慶安3年(1650年)に建てられたもので、その複雑な形状の屋根は、いくつもの棟が重なって見える事から「八つ棟造り」と称されています。塗り篭められた白壁も相まって、まるで城郭建築のような、堂々たる風格を醸しています。
今西家は、事前予約制で内部を拝観する事ができます。ぜひ、実際足を運んで、説明を聞いてみてください。
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